フローにんげんの一日

しょーもない日々にしょーもない突っ込み!

偶然

昨日の話。うちの母が、友達に会いに駅に向かった。傘をさしさし歩みは遅く、着くのに時間が掛かったとはいえ、大塚さんはタイ住まい、母より早く着くはずもなく。待ち待ち地階で涼んで居ると、向こうから来るは会うべくもなく、記憶の彼方13年の遥か向こうより姿を表す、音沙汰なかった知り合い一人。

黒髪は所々に霜の降りたるが如くにて、手櫛に掻き分けたなら、4本指の向こうから、現れた顔は又なく白く、赤く柔らかい唇を分けて、またしても白い歯の覗く。小川さんは昔とほとんど変わらぬ笑顔で、皺を飾ってむしろ昔より素敵な笑顔で、母親に声を掛けてくれる。

二人で一時間ほどおしゃべりをした。小川さんは色々あって親指をなくした話をして、母さんは親父がなくなった時の話をして、二人の時間は本当にあっという間だった。それこそ一時間かそこらは、すぐさま過去に過ぎ去って、いささか時を忘れたとは言え、それほど呆けてる訳でもなくて、思い出したのは大塚さん。

たった2年でタイの文化にどっぷりはまったような人。前世はタイ人、来世もタイ人、ややともすれば今生すらもタイ人になるかも知らず。十数年まえ、タイに行くときに日本に携帯わすれたままで、帰る頃には携帯という概念すらも忘れた猛者で、遅れることもしばしとはいえ、さすがに着いてないはずもない。

母さんが大塚さんの話をすると「ああ、息子さんがバレーをしてる?」と知らないはずが、知った口。重ねて問えば「さっき会った」と不思議な答え。二人で探してやっと見つけた大塚さん、インドカレーの模型の前で、一緒にいるのは従姉妹さん。

母の友達の大塚さんの従姉妹の友達がこともあろうに、母の昔の同級生の小川さん。小川さん曰く「縁って必ず繋がるものね。これだから悪いことは出来ない。」

確かに僕らが生きているのは、偶然に満ち溢れた世界。奇跡はいつもどこかで起きてて、でもそこに善を見つけられるのは、そんなにいない。ありふれた奇跡の中に神を見つける心の繋がり。そんな所にも縁を見つけて、僕は一人で喜んでいた。