フローにんげんの一日

しょーもない日々にしょーもない突っ込み!

米津玄師 フラミンゴの歌詞の意味を考えてみた

最近は、米津玄師ばっか、ばっかみたいに聞いているけど、何かこの歌詞良いなって、前から思っていたのです。

 

まず題名の『フラミンゴ』から筆者は情熱溢れるスペインの踊り『フラメンコ』を連想する。そこで最初の歌詞である。

 

宵闇に爪弾き 悲しみに雨曝し 花曇り
枯れたまち にべもなし
侘しげに鼻垂らしヘラヘラり

夜中にギターを掻き鳴らし 悲しげな顔を人前に曝し 淡いネオンさえ ガスに枯れ とっつきにくいこの街で みすぼらしい姿で笑う ひとりぼっちの鼻垂れ小僧

 

の「わたくし」が!というように解釈しても良いと思うけど

笑えないこのチンケな泥仕合

唐紅の髪飾り

あらましき恋敵

深紅の髪飾りの女を巡って 荒ぶる恋のライバルと つまらぬ試合を演じている

 

そしてそれを見ている女

触りたいベルベットのまなじりに
うすら寒い笑み

柔らかいなまなじりの下に o薄ら寒い笑みを浮かべて

 

というのは、どう考えても「あだな女」が寂しい男を片っ端から、垂らし込んでいる様子である。そこからサビ向かうところで、ようやく出てくる「フラミンゴ」という言葉を背負った例の女が、浮わつく身体に細長い足を投げ出すように、びらりしゃなりと歩いていく。

あなた ふらふらふら フラミンゴ
鮮やかな ふらふらふら フラミンゴ
踊るまま ふらふら 笑ってもう帰らない

僕の目の前を通り過ぎて行ってしまう

寂しさに 嫉妬ばっか残して
毎度あり 次はもっと大事にして

次の男に向かっている 一人悔しさが沸き起こる 毎度ありがとう又のお越しを だったらもっと大事にしてくれ

 

というところで前半部が終了する。さてそこで、まとめをしてみよう。前半部で語られたのは寂しい筆者と、艶やかで男ったらしの女性の姿、そしてそれに魅了されている男達が、争いながらも女の興味を引きたいという。

 

なんと野性的なことであろうか。後半部はその歌詞のトーン変わらぬままに、少しずつ強くなっていく。

御目通り ありがたし
闇雲に舞い上がり上滑り
虚仮威し くちずさみ 

お目に掛かれて ありがたいと 夜空に(やたらにの意味も含む)舞い上がり うわっつらばかりを撫でてるような 大仰な言葉を口にしても

 

いざとなったら

狼狽に軽はずみアホ晒し

ああ僕ときたら

愛おしいその声だけ聴いていたい

から

半端に稼いだ泡銭(あぶくぜに)

だけど

たかりだす昼とんび

には渡すつもりはないんだよ。なぜならば

くだらないこのステージで光るのは
あなただけでも良い

のだから、と筆者がどっぷり浸かり込んでいるのが、手に取るように分かる描写から、再びサビが、始まっていく。

それは(ふらふらふら)フラミンゴ
恐ろしや(ふらふらふら)フラミンゴ
はにかんだ ふわふわ浮かんでもうさいなら
そりゃないね もっとちゃんと話そうぜ
ちくしょうめ 吐いた唾も飲まないで

とうとう恐ろしいレベルに達した「フラミンゴ」の誘惑 僕にはちょっと微笑んだだけで ふわふわ他のお客のもとに 畜生女 とは媚びを売り 生計を立てる女を揶揄し

 

最後に出てくる『吐いた唾もの飲まないで』

辞書的な意味は『口に出したものを撤回しない』ということだろうが、主語は一体どっちだろう?

 

「フラミンゴ」が『口約束を撤回することさえせずに…』とか解釈出来るかも知れないけど、

 

むしろ筆者が軽はずみにアホを晒したと先にあったから『その風呂敷を畳むことすらさせないで』とかと考えた方が自然じゃないかな?そこからラストに入っていく

氷雨に打たれて鼻垂らし

涙の比喩が最初で出てきた ただの雨から 冷えきった心を暗示するような『氷雨』にかわる

私は右手に猫じゃらし

きょうびこの程度じゃ騙せない

猫だましでは昨今の 女輩の気は引けぬ

狭間で彷徨うとこしえに
地獄の閻魔に申しいり
あの子を見受けておくんなまし
酔いどれ張り子の物語
やったれ死ぬまで猿芝居

とは恐らくだけど 愛と憎しみの狭間の世界を永遠にさまよう筆者が来て 閻魔大王に例の女を 引き取ってくれとお願いする と歌っているのは 警察だろうか?それともヤクザか?しかし今でも恋してるから、会えなくなるよ!それでも良いの!?と考えて、ただただ恨んで神頼みという所が関の山であろう

あなたは(ふらふらふら)フラミンゴ
鮮やかな(ふらふらふら)フラミンゴ
踊るまま ふらふら
笑ってもう帰らない
嫉妬ばっか残して
毎度あり 次はもっと大事にして

とまあ、ここまでひたすら男の恋?というよりむしろ欲を歌って、歌って歌って歌い尽くして、ラストフレーズに突入である

宵闇に爪弾き花曇り
枯れた街 にべもなしはらへらり

ふらふら、ふわふわ踊る女を、はらはら溢れる夜桜に喩え、そこでまさかの花より団子と言うつもりかな、腹が減ったと呟いている。

 

ただひたすらに性欲のまま、夜の帳をくぐった後で、女に遊ばれ、憎むでもなく、ましてや喜ぶでもなくて、興味をなくして腹が減ったとぼやくのである。

 

結局のところ、いくら飾っても、取り繕っても、人間はそこが大切で!だから何だか落ち着いて終わることが出来る!

 

米津玄師の歌詞はおもろい

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Flamingo

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