フローにんげんの一日

しょーもない日々にしょーもない突っ込み!

f:id:jctam:20190712001923j:plainどうしてそんな可笑しなことを、思い付いたのか知らないけれど、私を生んだ窯元は、胴をコップの持ち手にしようと考えたらしい。中々しっかり付けられていて、どうにも動く気遣いがない。それゆえ私に出来うることは、せいぜい手足をばたつかせ、顔をねじむけることぐらい。

昼に玄関をガタガタいわせて、末の息子が帰ってくる。鍵を壁掛け鈴ならし、階段ドタドタ上ってきたら。誰も居ないのを良いことに、ベッドの上に寝転がり、バタピーを口に流し込む。こぼれた奴らはベッドの下に転がり込んで、いつかは芽吹くつもりである。足元ばかりを見ていたら、胴をむんずとつかまれる。おいおい、喉に詰まったからって、汚い口を近づけるなよ!

その後「疲れた、疲れた」と誰も居ないのに頤を叩く。言葉とは他人に伝えるものではなくて、自分に捧げるものである。とは、兎が見つけた真理であった。但しその人相応の言葉だけしか貰えない。

しばらくすると婆さんが帰り、入れ替わるように息子が出かけた。おーい鍵はそのままかい?と思ったけれども、口が動かぬ。コップの口は開くとも、動かぬだけに声は出ぬのだ。

その後親が帰ってきて「あつい、あつい」と一人つぶやき、臭い身体を近づけて「扇風機ちゃん」とすり寄るから、さすがの機械もいやいや首を振ってらい!それから二人は温泉に行き、当然のように錠をかける。息子の鍵は壁に身体を擦り寄せたまま、その内に愛を紡ぐだろう。

日が暮れ、月が出てきた頃に、ようやく息子が帰ってきた。玄関ガチャガチャ、ピンポンピンポン、閉め出されたと気付くや否や、ヤモリさながら外壁を登り、窓をこじ開け忍び込む。これは失礼、語弊があった。屋守というより泥棒である。

命盗人と迄は言わぬが、こんなにゴロゴロするなやい。それから一人でグチを言い、母と婆さんが帰ってきたら「締め出された」と文句を言う。もしも自然に風が吹いたら、鳴る鈴の音に鍵を見つけて、己の愚痴を悟るだろう。

しかし人間は自分自身の生活から、風を締め出してしまったのだ。